福島県出身
小林 千春さん

お能に着付け、敷居が高いと思っていた世界を身近に体験できる酒田市ってすごい!
ご夫婦で様々な国を旅して、日本文化と異国文化の良さを知った小林さん。
伝統芸能や日本の文化を広げようと活動する酒田の方々に感動し、親子で日本文化に触れる日々を過ごしています。
酒田でこそ叶う、素敵な移住ストーリーをご覧ください。
私も夫も、酒田には全くゆかりがないんです
福島県郡山市で生まれ育ちました。看護師になりたくて市内の看護学校へ進学して、そのまま郡山の民間病院に就職したくらい、地元が好きなタイプだったんです。特に福島を出たい! とか東京に行きたい! という思いはなかったですね。なので結婚後に酒田市に住むなんて、その頃の私は想像もしていませんでした。夫とは、私が勤務していた病院に、彼が東京の病院から派遣されて来たことがきっかけで出会いました。夫の生まれは千葉県で現在は東京に実家があるのですが、お父さんの転勤で福岡県や鹿児島県でも暮らしたことがあるんです。その経験があるからか、知らない土地へ行くのも物怖じしないというか、好奇心の塊みたいな感じの人で、一緒にいると想像もしていないような展開になります。 お付き合いを始めたばかりの頃に、「自転車でシルクロードを旅したいから!」って言われて、その3か月後には中国を出発してシルクロードを通過してローマまで、8か月も旅に出てしまったんです!! 自転車が趣味とは聞いていたものの、破天荒というか・・・、おもしろいです!(笑)
人生初の海外旅行先がアゼルバイジャン共和国!!
夫が旅をしている間もお付き合いしていたとはいえ、「無事でいるのかな?」と心配になっても、その時いる場所の電波状況が整っていないと電話も出来ないので、しばらく音信不通になる期間もありました。所々で夫がアップするブログをチェックして生存確認をして、「今ここにいるんだなぁ」って情報を得るしかありませんでした(笑)。そんな状況だったので、旅の途中で「会いにおいでよ!」って言われた時は、海外に一度も行ったことがなかった私でしたが、行ってみることにしました。ただ、その時に彼がいた場所がアゼルバイジャン共和国というところで、一旦ロシアに向かい、びっくりするほど小さい飛行機に乗り変えないとたどり着かない国だったんです。到着するまでは不安でしょうがなかったですが、無事に着いてからは一週間くらい滞在し、観光などを楽しみました。カスピ海に面したシーフードが豊富な国で、大きな瓶にキャビアがぎゅうぎゅう詰めに入ったものが安く売られていてびっくりしましたね~。あとは現地で食べたケバブがすごく美味しくて、海外旅行が初めてだった私は、「海外ってすごい!」って感激しました。
カスピ海!綺麗でした〜☆
夫のゴールに合わせて、イタリアにも行きました
私も一緒に?!オーストラリア横断の旅
夫が帰国して数年間は、また二人で同じ職場で働いていたんですけど、結婚の話をするようになって勤務先を退職することにしました。すると夫から、「二人でオーストラリアを自転車で横断しよう!」って言われたんです(笑)。ビックリはしましたが、私も楽しそうなことはまずやってみる!っていう性格なので、行ってみることにしました。夫の旅のルールは、日中は自転車でひたすら走り、夜はテントで寝泊まりするというスタイルで、オーストラリアのブリスベンをスタートしてアデレードまで3か月かけて走りました。オーストラリアって、キャンプが盛んで大きな施設が各所にあるんです。シャワールームやキッチンを完備した屋内施設が用意されていて、屋外にもコンセントがあるので、電化製品も使えて予想以上に快適でした。毎日テントを使っていたので、後半にはかなり早く張れるようになりましたよ!! ただ、出発前は不安より楽しみな気持ちのほうが強かったんですけど、いざ旅を始めたら暑さや生活の不便さも重なって疲れてしまって、「今日は移動距離を短めにして欲しい」ってお願いしたり、ちょっとケンカっぽくなった時もありましたね(笑)。 一度だけもう日本に帰りたいって思った時があったんですけど、「え~!ゴールまで一緒に走ろうよ!」って彼から言われ、「そうだよね~、せっかくここまで来たしね!」って切り替えました。すごく疲れたけど、良い思い出になりました。
野性のカンガルーに遭遇しました!
真夏のクリスマスだったアデレード☆
帰国後、東京生活を経て酒田へ
オーストラリアへ出発する前、帰国したら東京に住もうと二人で決めていたので、無事に帰国した後は東京での生活がスタートしました。ところが、東京に戻って2か月後、夫がまたオーストラリアへ行ってしまったんです! 二人で行った旅のゴール地点のアデレードは大陸の中間地点だったので、そこからパースまで横断しないと彼の中で目標が完結しなかったみたいで・・・私は都内の病院に就職して、また離れ離れの生活になりました(笑)。ただ、夫の実家も東京だったし、私の地元の友達もたくさん関東にいたので、寂しさはなく過ごしていました。
オーストラリア横断後、夫は東京の病院に勤めながら、郡山市の頃からご縁があった酒田市の病院にもお手伝いに来ていたんです。そして数年後、その病院に本格的に勤めることになり、二人で酒田へ移住しないかって言われました。引っ越し前に酒田を訪れてみようということになって、3月下旬に来てみたんです。その日は風がものすごく強くて、まだ桜も咲いていなくて「寒い!風が強い!いつもこんな感じなのかな・・・」って思った記憶が今でも鮮明に残っています。そしてその頃の私は海鮮系がそんなに好きじゃなくて、海沿いの地域の食文化に馴染めるか不安でした。でも!! そんな心配はいらなかったですね。こっちで食べたお寿司がすごく美味しくて、「私、魚が食べられるようになった!!」って嬉しかったです。酒田は美味しくて素敵なお店がたくさんあるし、もともと「なんとかなる!」って考えだったので、移住を決断しました。
酒田に移住する直前にアジア5か国を旅しました
酒田にはキッズフレンドリーなお店がたくさん!
郡山に帰りたくなった時もありました
無事引っ越しは終えたものの、知り合いが全くいなかったので、最初は寂しかったです。ちょうど長女を授かったタイミングと重なり就職活動はしていなかったので、その時期はマタニティヨガに出掛けるくらいしか予定もなく、お友達を作る機会が全然なかったですね。出産のため郡山に里帰りし、地元の友達と会ったり親とゆっくり話したりして過ごし、3か月後に酒田に戻った時は、酒田での孤独な生活と実家での慣れ親しんだ生活のギャップに辛くなり、郡山に戻りたいなって思いました。初めての子育てに神経質になっていた部分もあったし、ちょうど夫の仕事も多忙な時期だったので、モヤモヤとした気持ちが積もっていきました。
でも、これじゃあダメだ! と思い立って、酒田市のベイビーサークルに入ることにしたんです。そしたら、私のように酒田にゆかりがないママがたくさんいて、私が抱えていた不安や孤独を分かち合える人ばかりで、すごく救われました。そこで出会った方々とはずっと繋がり続けていて、転勤で他県へ引っ越してしまったお友達もいますが、今でも連絡を取り合ったり、お泊り会をしています。私は人見知りが強いんですけど、そのサークルに入ってやっと世間と繋がれたって感じでした。基本的に夫は休日も仕事が入るので、私と子どもで過ごすことが多いので、子どもからのリクエストに応えて出掛けたり、お友達を呼んで一緒に遊んでもらったりと、周囲と関わることを意識して過ごしています。そして夫が休みの時は、子どものために時間を使いたいって思っているので少し遠出して遊んだりしています。秋田のフェライト子ども科学館に親子でハマり、毎週行っていた時期もありました。
休日は思いっきり遊びます☆
日和山公園でピクニック♪
酒田市は、日本文化や伝統芸能に熱心!
酒田に移住する直前、1か月かけて東南アジアを旅したんです。様々な異国の文化や食べものに触れたことで日本文化にも興味が沸き、酒田でも色々と情報を集めていたんですけど、日本の食や伝統芸能を身近に体験できる環境が酒田の素晴らしい魅力だなと思います。私自身は着付けのお稽古を2年前から始めたんですけど、資格を取得することが目的ではなくて、普段の生活に取り入れられれば良いなぁ、でもそんな中途半端な気持ちだと失礼かなぁと心配していたんです。でもご縁があって紹介していただいた先生は私の希望を受け止めてくださり、まずは小紋のような普段使いの着付けや子どもの袴の着付け、ゆくゆくは娘の振袖を着付けられるようにと計画を立ててくださいました。日常生活に生かしながら目標を持って続けることができ、ありがたいです。週に1回通っているんですけど、着付けの技術を学ぶのはもちろん、お稽古の後のティータイムもすごく楽しいんです。年齢の違う方々とたくさんお話しをして、酒田の歴史など貴重なお話が聞けます。生徒さんの中に茶道をされている方もいらっしゃるんですが、その方から「今度お茶会があるからおいで!」って誘って頂いて、子どもたちと一緒に松山文化伝承館に行ったこともあります。あと、着付けの先生はお料理がとっても上手なのでいつも教えてもらっています。先日出して頂いた「栗の渋皮煮」の美味しさに感動して、レシピを習って自分でも作ってみました。すごく美味しく出来て、やっぱり直接習うって良いなぁと思いました。
庄内能楽館の茶の湯教室
阿部宗頼先生にお茶を点てて頂きました。
季節に合ったお軸やお花、お菓子など
美味しく頂戴いたしました!
そして子どもたちも、この春から日本の伝統芸能に触れています。4月に人間国宝の野村万作さんと一緒に希望ホールの舞台に立つ子どもを募集していて、娘が学校で配布されたそのチラシを見て「やってみたい!」って言ったんです。それまでお能や日本舞踊など一切習ったことがなかったのですが、貴重な機会と思い応募したら出演できることになり、お能を習い始めることになりました。初めは有名な方と一緒に舞台に出られる!っていう気持ちだけだった娘も、習い始めたらお能自体が好きになったみたいで、その舞台が終わってからもずっと習い続けています。謡(うたい)の言葉遣いとかお扇子を持って舞うのも楽しいし、学校や年齢を超えてお友達が出来るのも楽しいようです。長女が習っているのを見て弟妹も習ってみたくなったようで、11月にはみんなで舞台に立ちました。すごく敷居が高いイメージだったお能ですが、習っている子どもたちの表情はみんなイキイキと楽しそうで、東京から先生がいらっしゃらない期間は、教室がお休みでつまらないみたいです。早くお稽古したくてしょうがないって感じで、こんな風に楽しく伝統芸能に触れる機会がある酒田市ってすごいなって思います。お能だけでなく、日本舞踊や茶道・華道なんかも、閉鎖的でなくオープンな雰囲気で活動されている方が多いですよね。子どもと一緒に日本文化に触れる機会がこんなに多い地域って、郡山ではなかったし東京でもなかなかないんじゃないかと思います。
堂々と舞う娘の姿に感動しました!
能楽館はお庭も素敵です
酒田へ移住を検討している方へメッセージ
まずは、移住に対してそんなに気負わなくても良いのかなぁと思います。まさに「住めば都」ですね。酒田市は街を包む雰囲気も温かくて、新鮮で美味しい食材がたくさんあって、すごく住みやすいです。子育て中ってどうしても子ども中心の生活になりますが、どの飲食店も子どもに優しいので、自分が食べたいなって思ったお店にも躊躇なく入れてすごくありがたいです。子ども用のカトラリーがあるのはもちろん、子どもの様子を見て声を掛けてくれたり、折り紙で作ったお人形をくださったり・・・。私は食べることが大好きなので、こういう優しさがあると、ゆったりとした気持ちで食事が出来るのですごく嬉しいです。東京にいる義理の母も、酒田の街並みや食べ物が大好きで、しょっちゅうこっちに来ていますよ!
知り合いや頼るところがないなど、心配もあるかもしれませんが、市の施設やサークルなどを積極的に利用して、徐々に自分にとって心地良い環境を作っていけば良いのかなと思います。私たち夫婦も全く知り合いがいなかったので、託児施設などで大変お世話になりました。中町の交流ひろばなどに子育て情報や地域の情報が記載されたチラシがたくさんあるので、情報収集できますよ。冬が心配な方も多いかもしれませんが、私は全然辛いとは思わなかったですね。郡山ではほとんど雪が降らなかったので、雪かきがちょっと大変ですが年に数回なのでそこまで負担ではないかな・・・。翌日の筋肉痛も心地よいですよ!! ちょっと冬が長いな~とは思いますけど、親子とも大好きなスケートを楽しんだり、映画に行ったり屋内施設で遊んだりと、退屈せずに過ごしています。
日本文化に触れる機会が多いのも、地元で採れた新鮮な物を食べられるのも、ここで育っている子どもたちにとっては当たり前な環境なんですけど、他の地域も知っている大人からするとすごく贅沢で恵まれた環境ですよね。それが当たり前な状況の子どもたちって幸せだなぁ、酒田に住んで良かったなぁって思います。
※撮影のご協力をいただいた庄内能楽館では、小林さんのお子さんが通っている謡曲仕舞教室の他、狂言教室や茶の湯教室も開講しています。
◆庄内能楽館(公益財団法人庄内能楽館)
〒998-0074
山形県酒田市浜松町1-5
TEL:0234-33-4568/FAX:0234-43-0533
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