神奈川県からUターン
舟山 友加里さん

地元には何もないと思っていた高校時代。 でも、酒田には未来の自分が望んでいる暮らしがあった
どこで生まれ育っても、地元から出てみたいと思う若者はたくさんいるはずです。
今回インタビューに答えてくださった舟山さんも、そんな若者の一人でしたが
家族への想いや自分の未来をイメージした時、選んだのはUターンという道でした。
舟山さんのプロフィールを教えてください
酒田市の平田地区で二人姉妹の次女として生まれ育ちました。ずっとスポーツをしながら成長した体育会系で、周りのみんなは酒田市内の高校へ進学しましたが、私はその時夢中になっていたバスケットボールが強い学校へ行きたくて、鶴岡の高校まで通っていました。将来看護師になりたいという夢は、母が看護師だったからか、ずいぶん小さい頃から持っていましたね。母から仕事のやりがいを聞いていたとか、働く姿に影響されたという記憶はないんですけど、自分は看護師になるんだって思っていました。小さい頃の母のイメージは、家事などテキパキとこなす元気なお母さん。夜勤などで大変な時もあったはずですけど、「お母さん、疲れてそうだな」と感じた記憶は全くありません。同じ職業になった今、母の頑張りが身に沁みます。Uターン後に結婚し、現在は2児の子育てをしながら日本海総合病院(※1)に勤務しています。
ご自宅でインタビューさせていただきました
※1 舟山さんが勤務する日本海総合病院
救命救急センターやヘリポートを備える
看護師の1日は忙しく
あっという間に時間が過ぎます
高校卒業を機に、県外へ出られたんですか?
はい。進学のためという理由ももちろんあったんですが、高校生の頃はとにかく山形県から出て都会で暮らしてみたいって想いが強かったです。まわりの友達も「地元には何もない」って思っている人がほとんどでしたね。小さい頃は看護師になるのが夢だったんですが、高校3年になり医療分野の中でも医療機器に興味をもち始め、高校卒業後はその分野の勉強をするため仙台の学校へ進学しました。でも・・・、入学して数か月経った時、「私が進みたい道はここじゃない」って思ったんです。人と直接関わる医療の仕事がしたい、やっぱり私がなりたいのは看護師なんだって気付きました。両親には「本当に申し訳ないんだけど・・・」と謝って、その気持ちを話したんです。そしたら、私を責めることもなく話を聞いてくれて、その結果仙台の学校は中退し、翌年横浜の看護学校へ入学しました。両親には本当に感謝しています。
横浜は「憧れの都会」そのものでした。高層ビルに大きなデパート・・・ただ引っ越して最初の夜、寮の部屋の窓から渋滞でどこまでも続いている車のライトや狭い空を見て涙が出ました。完全にホームシックでしたね。なので、都会で長く働くつもりはなく、卒業後3年くらい働いたら酒田に戻ろうと考えていました。
ところが3年経った時、「やりがいもあるし楽しいし、もう少しいようかな」って考えが変わっちゃったんです。一度は酒田市の病院へ提出する願書も書いたんですよ!! でも・・・やっと勤務にも慣れた頃だったし、看護学校の付属病院に就職したので同僚も学生時代からの友人が多くて楽しかったので、あと1年、あと1年って、、、Uターンしたのは結局5年後でした。
思い出いっぱいの横浜時代☆彡
そのタイミングでUターンした理由は?
看護師の勉強を始めた頃から、いつかは母と同じ職場で働きたいって想いがありました。看護師という忙しい仕事をしながら自分を愛情たっぷり育ててくれた母の、「母親」としての顔は小さい頃から見てきましたが「看護師」としての姿はほとんど見たことがなかったし、同じ職業に就き大変さも理解できる今だからこそ、しっかりとその姿を見て心に焼き付けておきたかったんです。なので母が57歳の時、定年まであと3年しかない!って思ってUターンすることに決め、日本海総合病院に就職しました。
この想いは直接話したことはないので、なぜ私がUターンしたのか母は知らないと思います。でも理由はどうあれ帰郷したことは嬉しかったようで、実家暮らしに戻ってからは、毎日キャラ弁を作って持たせてくれるようになったんです。その頃私は27歳。世の中的には大人ですが、母にとってはいつまでも「かわいいお弁当を喜ぶ娘」なんでしょうね(笑)。病院の中での母は、時には現場を厳しくまとめる「看護部長」という立場だったので、「あの看護部長が作るキャラ弁」として同僚たちからも注目されていました! そして今では、母にしてもらったようにしてあげたくて、私が娘にキャラ弁を作っています。
☆母が作ってくれたキャラ弁☆
尊敬している母とのツーショット!
☆私が娘に作ったキャラ弁☆
横浜と酒田、職場環境の違いなどはありますか?
日本海総合病院は、働くママさんが多いなぁと思います。Uターンを決めた理由の1つでもあるんですが、横浜の病院に勤めていたときは働き続けながら家庭を持つというイメージが湧かなかったんです。
その頃の勤務先には実際に子育てしながら働いている先輩はいなかったですし、私が勤務していた5年間で、妊婦さんとして働き続けていた方とはたった1人しか出会いませんでした。日本海総合病院の看護師の中には、子育てしながら働いている方もたくさんいますし、夜勤ありの勤務体制で頑張っている先輩もたくさんいます。妊婦さんがいれば周りの看護師たちがフォローしてあげるのが当たり前な雰囲気で、実際私が妊娠した時も、「いいから、いいから、座ってな~」って先輩たちが優しく声を掛けてくれました。横浜に限らず、私がいた頃の都会の病院は新卒看護師をたくさん採用し、結婚や出産を機に退職するってケースが多かったんですが、日本海総合病院みたいに子育てに理解がある環境だと女性がずっと働き続けられて良いなって思います。
その他の違いとしては、やっぱり地方の病院は患者さんとの会話が多く、距離感が近いなって感じます。横浜で働いていた時も、もちろん患者さんとはいろんな話をしたんですが、差しさわりない日常会話や治療の話になりがちなんです。でもこっちでは、「新人さんかい?」「生まれはどこ?」など、都会では「個人情報だから・・・」とお互い遠慮しがちな会話もバンバン飛び交っています(笑)。 私はもともと人と関わるのが大好きなので、こっちの距離感のほうが合ってますね。
産休に入る前の記念写真
皆さん温かく送り出してくれました
お仕事のやりがいやオフの日の過ごし方について教えてください
基本的に看護師は様々な科へ異動になるので、その都度仕事内容や患者さんとの関わり方も違って一からの勉強になります。現在は人工透析室に配属されていますが、Uターンして最初の配属はHCU(※2)でした。両方とも横浜では経験していない部署です。HCUは、患者さんとじっくり話をしたり何度も顔を合わすことはあまりありませんが、症状の重い患者さんや手術後の痛みや不安と戦う患者さんを受け入れたり、緊急入院に対応したりと動き回る仕事が多かったです。現在の人工透析室は、同じ患者さんと定期的にお会いするのでコミュニケーションも密になります。人工透析歴の長い患者さんもたくさんいらっしゃり、配属当初は不慣れな私を温かい目で見守ってくださって本当にありがたかったです。患者さんに育てていただいているなぁ、これも酒田の方々の温かさだなぁって感じます。
お休みの日は、横浜時代はショッピングなどへ出る機会が多かったですね。今思えば、貯金もせずに遊んでいたなぁって(笑)。酒田へ戻ってしばらくは、新しくオープンした飲食店巡りにハマっていました。美味しくてリーズナブルなお店がたくさんあって、高校生の時に感じていた「酒田には何もない」って思いが変わりましたね。子どもが生まれてからは、公園など屋外で遊ぶことが多くなりました。土門拳記念館と同じ敷地内にある池には大きい鯉がたくさんいて、子どもたちが大好きなスポットです!
患者さんのデータは何度もチェックして確認します
お休みの日は公園へ
※2 High Care Unit の頭文字をとった高度治療室のこと。集中治療室(ICU)と一般病棟の中間に位置付けられる。
インタビュー場所のご自宅、素敵です! こだわりのポイントは?
こだわりというほどではないんですが、家を建てることに決めた時、「鳥海山が見える家を建てたいね」って夫婦で一致したんです。お互い、昔から鳥海山が好きだったとか、特別な思い出があるとかは一切ないんですが・・・(笑)。 折に触れて「今日の鳥海山キレイだね~」って話したり、夕暮れに染まるシルエットを見てボーっとしたりと、知らないうちにたくさんの場面で鳥海山に癒されている自分たちに気付いたんです。それで、車でいろんな地域を巡回しながら鳥海山の眺めを確認して土地を探しました。辺りをグルグルして・・・ちょっと怪しい車だったかもしれませんね(笑)。そして実家にもほど近いこの場所に理想の土地を見つけました。今日はお天気が悪くその眺めをお見せ出来なくて残念ですが、納得のいくマイホームを建てられました。
光がたっぷり入るようリビングを2階にしました
窓から鳥海山が見える幸せ♥
また、アパート暮らしの時は、子どもの足音や泣き声でお隣に迷惑をかけているんじゃないかって心配もありましたが、一軒家に引っ越してからは家族がのびのび過ごせていますし、もし声が漏れてたとしても、ちょっと郊外なので「ま~いっか、多少聞こえても!」ってリラックスした気分でいれます。
そして、水遊びが大好きな子どもたちと、お庭にプールを出して思いっきり遊べることが嬉しいです! 酒田市も、市街地だと花火やBBQを自宅の庭でやるのは少し遠慮がちになるみたいですけど、我が家のように少し郊外にいくだけで、お隣さんとの距離も広めなので気兼ねなく楽しめるのも良いポイントだと思います。横浜では絶対に叶わなかった暮らしです!
さらに、現在子どもたちは近くの保育園に通っているんですが、なんとそこの園の園長先生が私の保育園時代の担任の先生なんです! そんな偶然が起こるのも地元ならではですよね!!
大好きな水遊びも気軽にできます!
酒田へUターンを考えている方や、県外にいる酒田出身の方へメッセージをお願いします
酒田を離れ都会へ憧れる気持ち、すごくわかります! 私もそうだったし、自分の子供が「他県で進学、就職したい」って言った時には、止めることは難しいだろうなって思います。だけど、お盆や正月、お休みが取れた時などはぜひ帰省して、今の酒田の街や自然を見て昔のイメージを上書きする機会を作ってほしいと思います。そうすると若い頃には当たり前すぎて何も感じなかった環境が素晴らしいものだって気付いたり、食べ物も本当に美味しいって感じると思います。そして今の都会での暮らしと比べながら、少し先の未来を想像してみるとUターンの目的がクリアになってくるかもしれませんね。私の周りで酒田を一度離れた友人のうち、半数くらいは戻ってきているんです。広い公園や充実した屋内施設など、子育て環境も整っているのも大きな魅力だと思います!
公園もたくさんあります!
お祭りにも参加できます!
子どものペースでのんびり過ごせます!