土門拳記念館学芸員(東京からIターン)
酒田市出身の世界的な写真家である土門拳。その作品を収蔵する「土門拳記念館」の学芸員として働く田中さんは、東京でアートの仕事に携わったのち、酒田への移住を決めました。都会からの移住によって、仕事や生活にどのような変化があったのか伺いました。
私は東京で生まれ育ち、大学卒業後は7、8年ほど美術・芸術分野の仕事に携わってきました。古美術や現代美術を扱うギャラリーで働いていたときには、展覧会を実現するための企画・制作や執筆、作品販売のためのプレゼンテーションなどを行ってきました。アートに関する仕事は、もちろん東京のほうが酒田よりもずっと多いです。美術館やギャラリーではつねに何かしらの展覧会が開催されていて、私もさまざまな展覧会に関わってきました。良い展覧会を開催できたという手ごたえもありましたし、仕事は好きでしたが、展覧会の開催される数が多いためどうしてもサイクルが早くなり、終わったらすぐに次に行くような感覚がありました。東京での仕事は刺激的で魅力のある反面、どこか虚しさを感じることや「この仕事は社会や自分自身の糧になっているのだろうか」と疑問に思うこともあったので、一度都会から離れた場所で働いてみたいと考えるようになりました。移住先として考えたのが、母の故郷であり、祖父母が住んでいた家のある酒田でした。子どもの頃からよく遊びに行っていたので土地勘もありましたし、土門拳記念館の学芸員としてこれまでの経験を生かせることもあって、酒田へのIターンを決めました。
東京から地方都市への移住ということになりますが、仕事の面で言えば酒田に来てからのほうが確実に忙しくなりましたね。展覧会の企画運営などで自分が担当する範囲は広がりましたし、仕事を通して社会と関われているという実感も以前よりあります。もちろん土門拳という著名な写真家を扱うところも大きいですが、東京で働いていた頃よりもテレビや新聞などの大手メディアの取材を受けることや、全国各地への出張が増え、今年の夏はパリへの出張やロンドンでの講演の機会もいただきました。東京は確かに人が多いですが、自分が行ったことを注目される機会というのは案外少ないです。土門拳記念館は全国各地から幅広い層のお客さんが足を運ばれ、その中には熱心な写真愛好家の方もいれば、近場にお住まいで、ふらりと展示を観にこられる方もいます。自分が知る世界や関わる人々の層や幅といったところでは、酒田に来てからのほうが広がったと感じますね。私と同じように文化や芸術分野の仕事をしていて、東京から地方都市へ移住した知り合いも何人かいますが、移住してからのほうが自分が関わる仕事の割合が増え、忙しくなったという話をよく聞いています。大変なところもありますが、それだけ期待していただけるというのはありがたいことですね。
仕事は忙しくなりましたが、生活する環境としては快適さを実感しています。野菜や魚など新鮮で美味しい食材が手軽に手に入りますし、空気もきれいで山や海の景色も身近に楽しめます。それに満員電車で移動することや人混みの中を歩くことがなくなったのが良かったですね。そういう部分では、移住したことで穏やかさを得られました。また、酒田市美術館をはじめ市内に複数の美術館があるほか、即身仏で知られる海向寺などもあって、歴史や文化の面でも多くの魅力を持ったまちだと日々感じています。
文化や芸術が社会とどのように関わっていくかということに以前から関心がありましたので、学芸員という仕事はやりがいを感じています。
私は大学で美術史を専攻し、おもに戦前・戦中の日本の絵画史における、社会や戦争との関係について研究してきました。絵画と写真ではメディアこそ異なりますが、土門拳も戦前・戦中・戦後を生き、時代とともに創作を行った人物です。報道写真家としても数多くの作品を残している土門拳が戦争とどう関わっていたか、そしてその体験を踏まえて戦後はどのような作品を撮っていったのかというところに関心があります。また、土門拳といえば古い寺院や仏像など撮り収めた「古寺巡礼」が代表作として有名ですが、ともすれば「古き良き日本の写真」というイメージの中に押し込められてしまうきらいがあります。土門拳は戦後には実験的な表現に取り組むなど多様な作品を残していますので、若い世代や海外のキュレーターに土門拳の魅力を伝えていくためにも、従来のイメージにとらわれない新しい見せ方も模索していきたいです。写真という分野においても、自分は「外から来た者」となりますが、だからこそ新しい解釈や展示の幅を広げていくことができると思っています。