東京都からUターン
Sunny Rhythm~酒田から響かせる私らしいリズム~
「自分の居場所」と感じていた東京から、信念と決意を持ってUターンしたフリーアナウンサーの荒生さん。彼女が語る移住までのストーリーは、酒田を想いUターンを検討している皆さんにお届けしたいインタビューです。
酒田市で生まれ育ち、大学進学を機に酒田市を離れました。大学在学中は中学生の頃から抱いていた「アナウンサーになりたい!」という夢に向かって、必死に頑張っていましたね。
卒業後は山形ケーブルテレビ(現ダイバーシティメディア)、TBS情報キャスターなどを経てフリーアナウンサーとして都内の事務所に所属しながら活動し、2021年にUターンしました。
現在は自分の事務所を立ち上げ、酒田市や山形県でのお仕事と並行しながら東京での活動も行っています。
小さい頃から独立心が強く、母からも自分自身で稼いで生きていける人生を送りなさいと教えられていたので、女性でもキャリアを積むんだ! という意志を早くから持っていました。そしてある日、テレビに映るアナウンサーの立ち振る舞いや話し方、その存在感に衝撃を受け「かっこ良い! こんなふうに働きたい!」と思い、私の目標になったんです。それ以降は話し方に気を付けたり、進路を決める際も現役アナウンサーさんの経歴を参考にするなどしていましたね。
常に「スキルアップしたい」「もっと色々な情報や世界に触れたい」という気持ちを持っていた私は、地元の同級生たちとは少し考え方が違うのかなという自覚もあって、中学・高校時代は、自分の居場所は酒田にはないような気持ちを抱いていました。
入学後すぐに留学できる大学へ進学したので、大学1年生の1年間はイギリスのダーラム大学へ留学しました。その大学は、それまでアナウンサーになる為に嫌々やっていた勉強が楽しいと思えるほど、興味のあることは何でも学んで良いという環境で、自主的な学びを経験することができました。スポーツを選択できる機会も多く、その中に柔道もあったのですが、私は柔道初段を持っていたため「黒帯のジャパニーズガール」として自分の存在を印象付けながらコミュニケーションをとることができたんです。個性を大切にする海外生活において武器になるスキルを持っていて良かった、辛い練習に耐えてきて良かったと思いましたね(笑)。
帰国した大学2年生からは、アナウンサー養成スクールに通い始め、原稿の読み方や話し方、立ち振る舞いや撮影の際の姿勢など、たくさんのことを学びました。自分の知らなかった世界を知ることができる喜びや、自分と同じ夢を持っている仲間たちと出会えたことがすごく嬉しかったです。自分の居場所を見つけた!と思えたのもこの頃でした。
アナウンサーの仕事は、ゴールのない仕事だなと感じていて、緊張感で満たされた現場に身を置くことで、自分の気持ちも上がっていく感覚が持て、走り続けられるのが魅力かなと思います。常に100点のパフォーマンスをするのが当たり前という気持ちで各々の仕事をこなすメンバーと一緒に1つの番組や作品に向かっていると、その場にいること自体がモチベーションになるんですよね。
TBSラジオに転職した際は、ラジオ局に所属するアナウンサーとなったわけですが、ラジオだけではなくテレビにも出演する機会もあり、仕事に集中できる環境を与えていただいて毎日楽しかったですね。
特にラジオは、テレビよりもフリートークが多く自分の話したいことや盛り上がるネタを考えて話せるので、脚本作りの力もついてスキルアップにもなりました。映像がない分、私が発する言葉でリスナーの世界が無限に膨らんでいくのもラジオの仕事の大きな魅力です。
赤坂の社屋から皇居やその先に広がる東京の景色を眺めた時は、「頑張ってきたな・・・」としみじみ思いました(涙)。大御所の落語家さんや有名アナウンサーの方々など「しゃべりのプロ」と共演させていただくことで、ゴールのない仕事の中でも自分の成長を感じることができ、私の人生の中でも貴重な経験を積むことのできた期間でしたね。
フリーアナウンサーとなった後も様々な分野のお仕事を経験させていただき、充実した日々を過ごしていたのですが・・・、新型コロナウィルスの影響で一変してしまいました。
次々と仕事がキャンセルになり、3か月間何も仕事が出来なかった時は、さすがに心が落ち込みましたね。さらに、仕事と同じくらい私にとって支えとなっていた「会いたい時に会いたい人と会え、行きたい時に行きたい場所へ行ける環境」がなくなってしまったことで、東京にいる意味が見出せなくなり、酒田へのUターンを考えるようになりました。
実はコロナ禍となる前から、独立して自分の事務所を立ち上げようとは考えていたんです。世の中のメディアに対する価値観が変わってきているのは明確で、SNSや動画サイトの影響力の大きさを感じ、これからは個人がメディアになっていく時代だなと思ったので独立を視野に入れていました。東京都の起業支援制度を調べていた際に酒田市の支援策も調べてみたところ、補助金額はほぼ同じで・・・。だったら事務手続きがスピーディに進み地価なども安い酒田のほうが良いかなと思いUターンを決断し、サンロク(*1)に相談しながら事務所を立ち上げることにしました。
*1 酒田市産業振興まちづくりセンターhttps://sanroku.jp/
酒田で立ち上げた個人事務所では、フリーアナウンサーとしての私へのお仕事依頼はもちろんのこと、イベントの企画・運営や広告宣伝の代理業務、またSNS企画・運営など幅広いご依頼を承っています。私がこれまでメディア業界で培ってきた経験やノウハウを酒田の皆さんに活用していただけたらという想いが強いですね。
「Sunny Rhythm(サニーリズム)」という事務所名は、留学先での私の呼び名に由来しています。「サオリ」という名前は外国人にはすごく発音しづらいみたいで、イギリスではサオリが変化して「サニー」と呼ばれていたんです。サニー(Sunny)は英語で「晴れ」という意味なので明るい印象もありますし、私にとって大切なイングリッシュネームともなっていたので、事務所の名前を決める際にはこの言葉しか思い付きませんでした。そこにテンポを意味する「Rhythm」を加え、「サニーリズム/わたしらしく」進んでいきたいなという想いを込めました。
Uターンしたからこそ繋がったお仕事の1つが、東北観光推進機構の「東北PR局」山形県アンバサダーの就任です。山形県を離れた経験がある私らしい視点で山形をPRして欲しいとご依頼いただけたことがすごく嬉しかったですね。東京で暮らしていた際に、素晴らしい地域にも関わらず山形県の知名度が低いなと感じることが何度もあったので、しっかり酒田市や山形県の魅力を発信しアンバサダーとして務めさせていただきました。
また「酒田のラーメンEXPO2022」というイベントのMCのお仕事も思い出深いものの1つです。日本海沿岸の有名店と「酒田のラーメンを考える会」とのコラボラーメンや東北公益文科大学・ラーメン同好会「麺恋の(めんごいの)」も参加したチャレンジラーメンが集結し、たくさんの方々にご来場いただきました。
Uターンして一層楽しんでいるのはゴルフで、酒田市にある最上川カントリークラブは練習するのに最高のコースなんです。私がゴルフ好きなことを知っている方も多く、知人を通してどんどんゴルフ仲間が増えているのですごく嬉しいです。
また酒田は食材も豊富で温泉も身近にあって、そして美味しい日本酒がたくさんあることに驚きました。もともとワインなどお酒は好きだったので、今は酒田の日本酒を飲み比べるのも楽しんでいます。新鮮なお寿司との相性も最高です!!
今後は、スキューバダイビングの資格を持っているので飛島の海に潜ってみたいですし、富士山には3回も登ったのに鳥海山へは登ったことがないので、ぜひ挑戦してみたいですし・・・楽しみなことがたくさんありますね!
今住んでいる地域と酒田を比較し、移住するとどの部分が自分にとってプラスになるのか、移住後どんな暮らしを望んでいるのかを考える必要があるのかなと思いますね。
そして移住がゴールではなく、自分の思い描く暮らしに向けて、道を切り開いていこうというパワーを持てたら楽しいと思います。
仕事はどうしようと考える方も多いと思うんですけど、東京で稼いで田舎で暮らすという生活も1つの選択肢になり得ると感じるので、今の仕事を酒田でやる提案や工夫をしてみても良いですよね。
年収が多少減ったとしても、住みたい場所でやりたいと思える仕事をする時代だと思うので、都会にいないと叶わないことって少ないんじゃないかと感じています。
私の事務所には、SNSの企画や編集などクリエイティブな仕事がしたいという問い合わせも多く寄せられているので、自分の持っているスキルを伝えたり、住むところに関係なくやりたい仕事ができるんだということを発信して、私自身がメディアとなっていけるよう、「わたしのリズム」でこれからも頑張っていきたいです。
☆お仕事のご依頼など、お気軽にお問い合わせください☆
事務所HP https://sunnyrhythm.com
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ブログ https://sunnyrhythm.online/
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・タレントマネジメント
・イベント、公園の企画運営
・広告宣伝の代理業務
・SNS運用、企画 など