東京都からUターン
リモートワーク×地方移住=ストレスフリー!
勤務形態をフルリモートに切り替えたことで、Uターンを実現させた臼井さん。せっかく地元に戻ったのだから、自分と同じように移住を考えている人の役に立ちたいという想いで、今回のインタビューを引き受けてくださいました。
庄内町で生まれ育ち、鶴岡市の高校に通った後、埼玉県の大学に進学しました。
幼いころから新しい場所へ出掛けるのが大好きで、何もないと思っていた地元に飽き飽きしていたこともあり、高校卒業後は地元を出るという選択肢しかありませんでした。
合格した学校が関西や沖縄だったとしても、そこに行っていたと思います。とにかく、山形から出てみたかったんですよね。
埼玉での暮らしは楽しかったです。電車に乗れば、新宿や代官山、横浜など憧れだった街へ簡単に行けたので、よく出掛けていました。また地元で感じていた「どこどこの誰それ」みたいな周りの目線を全く意識せずに人と関わることが新鮮で、気持ちが楽でしたね。
様々なアクシデントが重なり、就職活動を経ることなく大学を卒業し、派遣会社に登録して携帯電話の販売の仕事をすることにしました。販売員の仕事はそれなりに楽しかったし、お給料も悪くなかったのですが、3年くらい働いた頃、将来を考えると転職したほうが良いかなって思ったんです。
そこで、手に職というか専門知識を身につけることができ、これからの時代に必要となる仕事に就こうと思い、IT関係の会社に就職しました。当時はIT系のスキルなどありませんでしたが、働きながら学ばせてくれる職場だったので、コーディング(*1)の技術を徐々に身に付けることができました。最初はわからなかったプログラミング言語が、だんだん理解できるようになり、コードを正確に並べていくことで、指示されたWEBデザインがブラウザ上に表示されることにやりがいを感じました。また、年齢が近い同僚もたくさんいたので、仕事終わりに飲みに行ったり皆でBBQをしたりと、オン・オフともに充実した時間を過ごせました。
ただ、それまでの販売の仕事とは真逆の、ひたすらパソコンと向き合う仕事は、自分らしくないなぁとも感じていたので、デジタルマーケティングに関するコンサルタント業務を行っている会社への転職を決めました。それが現在も働いている会社なんですが、これまでのスキルを活かしながら、クライアントさんとも接したり自分の考えも提案できる職種に出会い、やっと腰を落ち着けられたなって感じでした。
*1 プログラミングの作業の一部で、プログラミング言語を使ってソースコード(そのプログラムに「どんな動作をさせたいか」という処理の内容を書いたテキストファイル)を作成すること
埼玉県出身の夫とは、最初に入ったIT系会社で知り合い、結婚のタイミングで埼玉から東京の練馬区へ引っ越しし、Uターンするまでそこで暮らしました。アパート周辺は静かで自然もあり、でも自転車で少し走れば賑やかな街があるという環境だったのでとても住みやすかったです。
ただ、広い庭のある一軒家でのびのびと暮らしたい、子育ては自然豊かなところでしたい、という考えは夫婦で一致していたので、具体的な時期までは決めていないものの、いつかは東京を離れるというイメージは持っていました。
その当時、夫は東京での暮らしに疲れていて、私の実家に一緒に帰省した際には「(東京に)戻りたくないな」なんて言っていましたね。夫の友人に何人か山形出身者がいることで、山形県に親近感を抱いていたこともあって、いずれ私の地元に移住しても良いなあと思っていたみたいなんです。一方私はというと、自分の地元に帰るつもりはないし、夫は長男なので、ゆくゆくは埼玉の家を継ぐことになるだろうと考えていました・・・。お互い、見事に考えがすれ違っていましたね(笑)。いずれにしても、移住はもう少し先のことと考えていました。ところが、長女が生まれた数か月後に新型コロナウィルス感染症によって世の中が一変し、私の気持ちも大きく変わったんです。東京での慣れない子育てに加え、未知の感染症に対する不安も重なり、心身共に参ってしまって・・・。周りの友達家族と自分を比べ、「私はあんなふうに逞しくなれない」と感じ、東京は好きだけど、このままここには住み続けられないなと思いました。この頃、初めて両親に電話で弱音を吐いたりもしていて、地元に戻りたいという思いも生まれていました。
ちょうどその頃、夫が以前勤めていた会社から戻って来て欲しいと言われていて、行き詰っている私を見ていた夫は「近いうちに山形に移住する予定だから、フルリモートでの契約なら戻ります!」と伝え、希望を叶えてもらったんです。夫は以前にも地方のサテライトオフィスでリモートワークを経験していたこともあり、地方に移住しても全く問題なく仕事がこなせるという確信は持っていたみたいです。私の中ではまだ移住を完全に決めていたわけではなかったのですが、そんな夫の気持ちに背中を押され、Uターンに向けて本格的に動き始めることになりました。Uターンとはいえ実家に住むつもりはなく、庄内地域でアパートを探していたところ、酒田市に理想の物件を見つけることができ、移住しました。
夫婦でリモートワーカーとして働いて感じるのは、ストレスがかからないためにも「仕事部屋」はしっかり確保したほうが良いということです。東京にいた頃は、部屋数がたくさんあるアパートではなかったので、夫のワークスペースがリビングの一画でした。そうすると、仕事をしている夫の横で、私が娘のお世話をするという状況になって、「仕事に集中したいんだよな(夫:心の声)」「子育ての大変な状況、見えてるよね?(妻:心の声)」という重たい空気が流れていたんです(笑)。でも、家賃の高い地域で、部屋数に余裕がある物件に住むのは、なかなか大変ですよね? その点、酒田市のような地方都市なら、同じ家賃でも部屋数の多いアパートを選べるので、広めの仕事部屋に夫婦それぞれのスペースを確保し、生活空間ときっちり分けることができて、家族みんながメリハリを持てるようになりました。
また、フルリモートで働いていると、想像以上に自然の豊かさに癒されるんです。保育園の送り迎えの際に広がる田園風景や綺麗な空は、見るだけでも気分転換になりますし、休日は酒田市内にあるオートキャンプ場でデイキャンプするのが良いリフレッシュになっています。
酒田市は、自然が豊かで食べ物も美味しいし、雪もそこまで多くないので暮らしやすいと思います!
車での移動が中心なので、冬に寒いと感じることが東京で暮らしていた時よりも減ったようにすら感じますよ。ただ、歩かなくなった分、運動不足を痛感していますが(笑)。
また、酒田市には「移住者交流会」という移住者同士のコミュニティがあり、BBQの会には私たち家族も参加させてもらい楽しい時間を過ごせました。お子様の参加者も多く、うちの子にもたくさん話し掛けてくれて、優しいなあと感動しちゃいました。地元を離れる時は、まさか自分がUターンするなんて考えもしませんでしたが、実際に移住してみて思うのは、住むところに関してもっと気軽に考えたり選択肢を持っても良いんじゃないかなということです。今住んでいる街を出ることが、その街を捨てるというわけではないので、一度出たら戻れないなんてことはないんだなって思います。私たち家族にとっては、今は酒田での暮らしがベストだと思っていますが、何十年後かには埼玉の夫の実家に住んでいるかもしれないですし、酒田に軸足を置きつつ、東京近郊にも出向くようなライフスタイルを送っているかもしれません。ですので、今「移住したい!Uターンしたい!」って思っているなら、気持ちに正直に動いてみても良いと思います!酒田の人は皆さん親切なので、安心して来て欲しいなぁと思います。Uターンしたからには、この土地のために何かしたいというのが私たち夫婦の共通の想いなので、これからも機会があれば、移住を検討している方や移住した方のお役に立てたらなと思いますし、地元を盛り上げようとしている友人も多いので、一緒に何かできたら素敵だなと思います。
臼井さんが在籍する会社「thinkjam.(シンクジャム)」は、
『すべてのデータを、コンテンツへ』をビジョンに掲げ、
デジタルマーケティングに関するコンサルタント業務やWebサイトの
企画・制作・管理業務、インターネットに関するサービス開発などを行っています。
◇株式会社シンクジャム◇
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